life story

産土神社と不思議な話〜祖父の出現編〜

saki777

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今回は3部目「祖父の出現編」です!

今回、そもそも地元に帰ろうと思ったきっかけは「いとこの結婚式」に呼ばれたことでした。

2年前の離婚以来、なんだか実家に気が向かず…。
正直に話すと実家が居心地の良い場所ではなく、結婚式の出席だけして実家には滞在せずに帰るつもりだったのです。喧嘩しているとかそういうのではないのですが、どこか足が向かないという感じですね。

(のちに機会があったら詳しく書こうと思いますが、典型的なアダルトチルドレン体質で母と離れることでやっと自分の人生を取り戻していった経緯があります)


いつか帰ろうと思いつつ、まだ自分の中で踏ん切りがつかない…
それもまた自分の本心だからと、そっと観察する日々を過ごしていました。

が、事は突然動いたのです!

事の発端は9月のお彼岸のあたりから「ご先祖さま」のような見守ってくれている見えない存在を強く感じるようになったこと。
ある一冊の本を読んだ時に、どこか見えない存在を「怖い」と思っていた自分の思い込みがガラッと変化して、ぼろぼろと涙が止まらなくなり。
その辺りから、「強く守られている」ということを感じるようになりました。

ある日、ふと見えた映像に亡くなった祖父が現れ、何やら伝えたいことがあるような感じを受けました。
なんだろうな〜?と話しかけてみると、どうやら祖母に伝えたいことがあるよう。

そんなある日、母から「脳梗塞になって入退院していたおばあちゃんに会って欲しい」と連絡が来たのです。


これはもしかして、実家に帰ってメッセージを伝えるために全てのタイミングが重なっているのか?ということで、思い切って実家に帰ることにしました。

実家に帰るのは気が進まないところもあったのですが、ある意味「メッセージを届ける」という目的が私を後押ししたように感じます。
(おじいちゃん、ありがとうね☆)



帰省してその日の夜、祖母は眠っていましたが父と母に祖父がたびたび出現することを伝えると、母が「やっぱり!私も最近感じるの!仏間の部屋がミシミシいうのよ!」とのこと。

今回、祖父から感じ取ったのは、

・祖母に会いたい
・祖母が作っていたご飯が恋しい
・祖母にごめんねとありがとうを伝えたい

というような感覚でした。


果たしてこれは本当にそうなのだろうか?と私自身も半信半疑で両親に話すと、思いの外疑いよりも納得の方が大きかったようです。


翌朝、起きてきた祖母に早速尋ねてみました。
「おばあちゃんが昔の家で、小さな銀の鍋で作っていた小鉢のおかず、なんだか覚えてる?おじいちゃんが好きだったものみたいなんだけど」と。


するとどうやらそれは「とうふかやき」というものらしく、祖父は味噌で煮込んで卵とじにした「かやき」がとても好きだったそう。
それを聞いてまずびっくり。私は10月の頭に「かやきみそ」という貝を味噌で煮込んで玉子とじした食べ物を3日連続で食べていたのです!!!

(これが「かやきみそ」 とうふかやきは中身が豆腐でできているものらしい)

慌ててその日がいつだったかを調べると、それは祖父の命日前後のことでした。


あれ?あれはそういうことだったの?と思いつつ、祖父がそれを食べたがっているのではないか?と伝えました。

あとは、祖母に「ありがとう」と「ごめんね」を伝えること。


すると、祖母は「本当におじいさんが来たのか?」と私の話を真剣に聞いて泣いていました。


母に聞いたのですが、祖父が亡くなってから祖母は毎日仏壇に向かって「早く私を迎えに来てくれ」とお願いしていたそうです。
毎日毎日手を合わせていたのに、入院してから歩けなくなり、今はもう仏壇の前に行くこともなかったそう。


母が「おばあちゃんの代わりに私が毎日仏壇に手を合わせていたんだけど、おじいさんが会いたかったのはおばあちゃんだったのね…きっと私たちにもそれを伝えていたんだろうけど、わかってあげられなかったからあなたのところに行ったのね」と妙に納得していました。


祖父は生きている頃、お酒を飲んで手をあげたり、働かずにお酒を飲んでばかり…というところがあり、母は祖母が1人で働いて育てたようなものです。

母自体もそういう家庭で育ったことで生きにくさを感じていましたし、それは私の代にも無意識に引き継がれていて、私もまた生きづらさを抱え、鬱病や数々の不調の中で育ちました。


それに気がついて、私はその繰り返すループから抜ける!と新たな人生を選んだのが2年前。離婚して、地元を離れ、自分の人生をもう一度生き直し始め、今に至ります。

でもその時には一度に起こったことを誰も受け入れることもできず、傷つけあう形にしかなれず、実家に帰ることがなんだか気が進まないようになっていました。
(全てを受け入れて自分自身がしっかりと確立するまで、帰るのは「保留」にしていました)


祖父のあれこれも相まって大変な人生を生きてきた祖母は「生きている時に謝らないとダメなんだ。今更言ったって許さない」と言いながら、本当は嬉しくて涙を流しているようでした。

祖父は面と向かって言うことはなかったけれど、生きている時も祖母の体調が悪くなると「なんとかしてやってくれ」と泣くことがあったのを覚えています。

「おじいちゃん、昔から言えない人だったじゃない。でも、本当はそう思っていたこと、伝えたかったんじゃないかな」というと、祖母はぼろぼろ涙を流し、そしてそれを一部始終見ていた母も親戚も涙していました。

そんな見えない不思議な話を、家族みんなが受け入れたのです。
私にとってはそれが1番の驚きでした。



こんな話して良いのかな?と迷いもあったけど、でも、伝えたことでみんながそれまでのことを受け入れたんですね。


そして「そんなに長生きする必要もない。早く迎えにきてほしい」と言っていた祖母に祖父からの言葉を伝えると、「おじいさんが見守ってくれているなら、仕方ない。もう少し頑張って生きていることにする」と自分の意志の向きが変わりました。

それが、何より嬉しいことでした。


人はいつか、天寿を全うする時がきます。
その時まで、精一杯生きる。
それが、私たちがこの世界でするべき大切なことだと思います。

「まだ生きられる時間が残っているなら、その命を全うする」

そう決めることは、人生を自分の意志で生きていくと決めることでもあります。
そしてその瞬間を生きているうちに迎えられたら、何歳であっても魂の成長になるような気がします。



きっとそのために、祖父は祖母に伝えたいことがあったのではないかな?
そして、それを見せてもらうことで、私も、そして家族も、感じることがあったのではないかな?と思いました。


「本当は仏様にあげるような食事ではないけど…おじいちゃんが好きだったおばあちゃんの料理、あげてみようかな」と母が。
その日の朝、何ヶ月も通らなかった仏壇の前を、祖母が自分で歩いて通ったそうです。


この一連の流れを振り返ると、祖父が見守ってくれているよ!と伝えながら、その言葉に1番動かされていたのは、「わたし」なんだなぁと思います。


全て、このタイミングでうまくいくように導かれたのだと今は思います。


祖父が現れなければ実家に帰ろうと思わなかったし、
祖母に伝えようとしなければ、家族の過去が癒えることもなかったし、
家族みんなが見守られているという温かい愛に包まれることもなかった。

誰よりも、この展開を望んでいたのは「私」。
みんなが幸せである。愛を感じて生きられる。
それを家族に伝えたかったんです、ずっと。


そんな壮大なストーリーが動いていたなんて!と知ることになるのは、ずっと後のことなんですね。



後日談で、帰宅してから祖母が「おじいさんの話を聞けてよかった」と言っていたそうです。

そんな祖母を見て嬉しそうな母。

私が自分の子どもにそう思うように、親に対しても同じように「幸せを願う」という気持ちが強く働きます。
母は祖母に、私は母に。

ただただ、幸せであってほしい、幸せに生きてね。
そう願う気持ちがそこにあるだけです。


この現実世界であれこれ起こること、感じること。
時にはそういうことに飲み込まれて見えなくなる「祈り」


ただ「幸せでいてね」と願うという「愛」


こうしないからだめとか
社会の望むように生きていないとか


そういうものの奥にある、純粋な願い。


そういう思いで家族が繋がれたら、人と人が繋がれたら良いな。
私はずっとそう願っていて、離れてもそれは変わらずずっとそこにあるものだと改めて思いました。


誰かの期待に応えられなくても
社会の型にはまれなくても
みんなと同じようになれなくても

それでも、あなたにはあなたの人生があるから。
「持って生まれた命を全うする」という意志を持って生きたい。


祖母の意識が変化していくのを見て、私もそう感じました。

産土神社と祖父の出現の3部作からの気づきでした。
人生って、こうやって体験して学んで気づいて、成長していくんだよね〜!
人生の目的はこうやって気づいて霊的に向上していくことなんじゃないかな☆

私はそういう学びを大切に、自分の人生(命)を全うしたいと思います(*´꒳`*)


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